女性労働問題 <育児・コンピュータ・労働>

初期資本主義企業、とくに製糸工場や織物工場は、年少女子労働者を大量に雇用し、低賃金、長時間労働など劣悪な労働条件で酷使し、結核の蔓延など深刻な女性労働問題を発生させた。

資本主義が発展し、産業構造が高度化するに伴って、事務員、店員、電話交換手、車掌、女給など女性の職種は多様化したが、その多くは単純・補助的業務に限られ、厳しい男女差別が維持された。

幼稚園教師、看護婦など、「女性の適職」とされた専門的・技術的職業従事者も増加したが、同種の職業の男性に比べ低賃金で昇進の機会も限られていた。

資本主義が高度に発展し、技術革新や情報化、サービス経済化が進展した1970年代後半以降、女性労働者はいっそう多くの職種に進出するようになった。

技術革新が進んだ工場では、単調労働に従事する女性が増加し、コンピュータリゼーションが進んだ事務室には女性の事務員やプログラマーなどが増加した。

また、販売やサービス業などの第三次産業部門が肥大し、この分野に働く女性は著しく増加した。

就業分野の変化とともに、女性の就労パターンの変化も進んでいる。

近代には、大部分の女性労働者は若年・未婚者で結婚適齢期には退職し、一部分の専門的・技術的職業に従事する「職業婦人」は独身のまま職業を継続したが、現代では、結婚・出産後も職業を継続する女性労働者や、結婚・出産期に退職し、子供の成長後、パートタイマーなどの形で再就職する女性労働者が増加している。

このため、従来から存在していた男女間賃金格差解消や女性労働者保護などの課題に加えて、「家庭責任と職場責任との両立」や母性保護、母性保障などが重要な課題として取り上げられるようになっている。

1975年の国際婦人年に決定された「世界行動計画」や79年に採択された「女性差別撤廃条約」では、雇用機会の平等化、母性保護の徹底などが職業労働における男女平等を実現するために不可欠の課題であることが示されている。

日本では、最初の国内行動計画は1977年に策定され、退職制度における男女差別の撤廃などが重点課題として取り上げられた。

96年に策定された国内行動計画「男女共同参画2000年プラン」においても、男女雇用平等、育児休業・介護休業制普及、セクシュアル・ハラスメントの防止などの推進が図られている。
update:2010年02月24日