日本では1985年のプラザ合意に [プラザ合意・ブラックマンデー・株]

伴う円高と、1987年の世界的な株価暴落となったブラックマンデーの景気への影響を避けるため低金利政策が続いた。

このことにより、1980年代後半に株価や地価が急上昇し、バブル経済となった。

日経平均株価で株価の推移をみると、1983年の平均は8800円であったが、1987年10月には2万6646円まで上昇し、1989年12月末には3万8918円にまで上昇した。

これは1983年に比べると、実に4倍以上の上昇である。

地価も1980年代後半には、これまでに類のない上昇を示した。

首都圏では、1986、1987年の2年間に、住宅地の公示地価が2倍以上になった。

東京都区部では3倍近い上昇を示している。

1989、1990年には、地価の上昇は大阪圏、名古屋圏に波及した。

株や土地をもっている企業や個人の保有資産の価値が高まり、これを担保に低利で資金を調達することが可能となった。

これらの潤沢な資金は不動産市場や株式市場に流れ込み、それによって地価や株価を急速につり上げていったのである。

こうした資産価格の上昇はマクロ経済に対して好影響を与え、戦後最長の「いざなぎ景気」に匹敵する、1986年12月から1991年2月までの51か月続いた景気拡大局面をもたらした。

しかし、一方では、「持てるもの」と「持たざるもの」との格差の拡大や過剰な土地需要を発生させ、所得分配および資源配分面でのゆがみという問題を引き起こすに至った。

政府の金融引締め策による金利の上昇と、税制面の見直しや土地関連融資の総量規制などをきっかけとして、資産価格は反落に転じ、バブルは崩壊した。

株価は、1990年に入ると急落し、10月初めにはピーク時の約半分の2万円近くの水準まで下落した。

1992年8月には1万4309円となり、ピークからの下落率は実に63%であった。

一方、地価は、1991年には大都市圏において下落し、1992年1月の公示地価は、前年比4.6%の下落となり、1993年1月は前年比8.4%の下落となった。

こうした資産価格の下落により、経済の各部門で負債を圧縮させようとする、いわゆるバランスシート調整が行われることになった。

資産価値の下落によって、家計部門は消費支出を抑制し、企業は、有利子負債圧縮のために手元流動性を取り崩し、設備投資を抑制した。
update:2010年02月23日